繁岡 ケンイチ 繁岡ケンイチ (繁岡鑒一) 略年譜  
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明治28年(1895) 9月19日、東京浅草七軒町に5人兄弟の長男として生まれる。
大正9年(1920) 2月、有楽座で新劇協会(当時民衆座)が「青い鳥」を日本で最初に上演。
この時舞台美術に関係する。また「和紙のはいばら」の依頼で壁画等製作
大正11年(1922) 3月、東京美術学校(東京芸術大学)日本画科卒業。
4月、帝国ホテルのフランクロイドライト建築事務所設計部(インテリア部門)に入社。
5月、日本美術院同人山村耕花に師事。
大正12年(1923) 帝国ホテルの建築完成により、フランクライドライト建築事務所閉鎖。
9月から同ホテル内演芸場の嘱託として勤務。他に営繕課も兼ねて、
改装の仕事その他、ホテル内の美術関係の仕事に携わる。

この頃大倉喜七郎氏に出会う。また、この頃から舞台美術の仕事を始める。以後昭和25年頃まで、東京・大阪・京都・名古屋・博多等の劇場で、松竹や東宝の商業演劇や研究劇団の舞台装置を幅広く担当。
昭和19年(1944)

第二次世界大戦のため、解職となる。

昭和20年(1945) 終戦と共に、川奈ホテルに勤務。接収ホテルとしての美術関係の仕事に携わり、
解除後も引き続き同ホテルの美術面を受け持つ。
この間に赤倉観光ホテルの美術面も担当。
昭和23年(1948)
昭和23年11月10日毎日新聞
進駐軍の依頼でクリスマスカード240枚作成し世界各国の名士に送られた(new)
昭和29年(1954)
「東京だより」昭和29年6月号表紙
親交のあった芦田 均からの依頼で作成
昭和37年(1962) ホテルオークラの建設に際してはホテルオークラ意匠委員会(溝口三郎、繁岡ケンイチ、広井力、岩田清道、縣治郎)の一員としてのアイディアが内装・家具・備品に生かされました。以後同ホテルのインテリア他美術面を担当。
また川奈ホテル赤倉観光ホテルホテルオークラ新潟の美術顧問として生涯勤務。

昭和37年以降の製作内容一覧を新規アップロードしました。
昭和48年(1973) 大倉集古館の学芸部主任も兼任しホテルオークラの季刊誌「葵」の大倉文化財団蔵の美術品を紹介する「鑑賞」を担当。
昭和63年(1988) 10月13日没
スケッチ集
上高地帝国ホテル
上高地帝国ホテルでスケッチ
繁岡ケンイチ 画室から見た景色
画室からみた景色(品川区上大崎)
繁岡ケンイチ スケッチ  繁岡ケンイチ やごはらスケッチ
繁岡ケンイチ デザイン龍 繁岡ケンイチ スケッチ
繁岡ケンイチ スケッチ 繁岡ケンイチ スケッチ
繁岡ケンイチ スケッチ 繁岡ケンイチ スケッチ
繁岡ケンイチ スケッチ 繁岡ケンイチ スケッチ
繁岡ケンイチ スケッチ 繁岡ケンイチ スケッチ
繁岡ケンイチ スケッチ 繁岡ケンイチ スケッチ
帝国ホテルフランクロイドライト
建築事務所インテリア実績
帝国ホテル壁画の巻
東海道初絵の旅
川奈ホテル写真
川奈ホテル銀製絵皿富士コース 川奈ホテル銀製絵皿大島コース ホテルオークラ実績
赤倉観光ホテル実績 ホテルオークラ新潟実績 大倉集古館学芸部実績
舞台装置家 東京美術学校(東京芸術大学) 川奈ホテル実績
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